1.民族教育の歴史

 祖国の解放(1945.8.15)を限りない感激と喜びで迎えた在日同胞は、子供たちに民族の言葉と文字を学ばせるため、こぞって立ち上がりました。

 終戦(解放)直後、多くの同胞たちは祖国への帰国を願いましたが、日本政府の帰国事業に対する援助が不充分で、また、故郷での生活の安定などに対する見通しもありませんでした。その結果、在日同胞たちは無一物のはだか同然の状態で解放されたにすぎず、日本に引き続き滞在して労働により生活を維持する以外の道がない人々が多く、日本に定住することになりました。

 在日することになった同胞たちは、既に植民地時代に朝鮮の民族文化の学校教育は失われており、民族文化の維持継承と発展のため、自らの民族教育が不可欠でした。

 そこで、愛知県に在住する同胞たちは終戦(解放)直後から名古屋市の則武をはじめ千種、築地、港、瑞穂、南陽、守山、春日井市の篠木、高蔵寺、鳥居松、小牧市、瀬戸市、一宮市、新川町、岡崎市の欠町、花崗、小針、半田市、豊橋市の大崎、花田、向山、小坂井町など県下各地に「国語講習所」を設立し、民族教育を始めました。

 1945年9月25日には則武朝鮮人学校(後の愛知朝鮮第一初級学校)、1948年4月20日には中部朝鮮中学校(現在の愛知朝鮮中高級学校)をはじめ県下各地に小学校相当の教育、中学校相当の中等教育を行う学校を設立しました。

 ところが日本政府は、1948年当時日本国を占領していた連合軍総司令部の指示を受けて、各都道府県の朝鮮学校について学校教育法による認可を受けさせること及びその認可を受けていない学校を閉鎖させることを指示しました。

 朝鮮学校の自主性の確保を求める在日同胞、教師、学生とアメリカ軍および警官隊との衝突が各地で起こり、大阪府では16歳の在日朝鮮人少年が射殺され、全国各地で逮捕者が出ました。

 日本政府は1949年に至り、学校教育法第一条の学校として申請していた朝鮮学校すべてを不認可とし、申請しなかった学校と併せて全ての朝鮮学校を連合軍司令部とともに閉鎖命令をもって閉鎖させました。

 愛知県では、愛知朝鮮第二初級学校に200余名の警官隊が突入、教員を逮捕し、抗議運動に参加した父母と児童30余名が逮捕されたのをはじめ港、瑞穂、守山、豊橋市でも激しい弾圧がありました。

 その後、朝鮮学校は自主学校、公立学校の分校、特設学校の形で何とか継続されます。

 愛知県では中部朝鮮中学校と名古屋市の瑞穂、守山、春日井市、瀬戸市、一宮市、新川町、半田市、豊橋市の朝鮮小学校の9校が自主学校として継続されました。そして、中村、千種、港の朝鮮小学校がそれぞれ名古屋市立牧野小学校、名古屋市立大和小学校、名古屋市立西築地小学校の分校になりました。また、名古屋市、岡崎市、宝飯郡、碧海郡のいくつかの公立小学校に特設学級(民族学級)が設置され運営されました。

 しかし、1955には自国の文化に基づく教育を求める要求に応じて、すべての朝鮮学校が自主的に運営されるようになりました。その間1953年7月17日には中部朝鮮中学校に高級部が併設され中部朝鮮中高級学校になりました。

 学校法人については、各朝鮮学校の父母を含む関係者が陳情を重ね、日本の教育界と一般住民及び各地方自治体の議会議員の方々のご支援をいただき、1967年2月14日に愛知朝鮮学園が各種学校として愛知県知事の認可を受け、同年12月までに県下の各学校の設置認可を受けました。

 朝鮮学校では1955年度、1963年度、1974年度、1993年度、2003年度の5回にわたり、カリキュラムを改編し、新しい環境に合うよう教育内容を充実させました。特に1993年度には、ほとんどの在日同胞が、日本で生まれ育ち日本に永住することを前提に、同胞子弟が民族のアイデンティティを持ち、日本の社会で正々堂々と生きていくうえで必要な知識を十分に習得できるようカリキュラムと教科書を改編しました。

 朝鮮学校関係者と在日同たちは、民族教育の権利を擁護、拡大し、広範な日本の人々との親善、友好を深めるために一貫して努力してきました。

 各朝鮮学校の父母を含む関係者が陳情を重ね、日本の教育界と一般住民及び各地方自治体の議会議員の方々にもこれを支援していただいて、1977年度から愛知県が愛知朝鮮学園に私立学校経常費補助金を支給することがみとめられました。近年、愛知県の財政状況が非常に厳しい中でも少しづつですが、毎年増額されています。

 また、長年の努力の結果、1989年6月には朝鮮学校のNHK全国学校音楽コンクールの正式参加が認められました。その後も、1992年3月には全国高等学校野球連盟、1993年11月には全国高等学校体育連盟、1994年4月には全国中等学校体育連盟への加盟が認められ、同年4月には朝鮮学校生徒に対するJR通学定期券の学割が日本の学生と同様に認められました。そして、1999年7月には朝鮮学校生徒の大学資格検定試験受験資格と朝鮮大学校卒業生の国立大学院受験資格が認められました。